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茨城歴史散歩
[2016-10-07 up]

県営渡船「出島丸」の面影 - かすみがうら市

人の流れに大きな変化 消えた霞ケ浦の風物詩


昭和62年春、市民に愛され最後の出航をする出島丸

現在は県のパトロール船が停泊しているかすみがうら市柏崎の船溜

1987年(昭和62)春、出島と玉造間を行き交った定期船「出島丸」が廃止されたが、市井に根差した霞ケ浦の水上交通の面影はかすみがうら市柏崎の船溜に残っている。

江戸時代、霞ケ浦には水産物の流通や年貢米の輸送などで多くの高瀬舟が往来。明治期には蒸気船も登場したが、かつて水戸藩領だった出島と玉造では各家の小舟で互いを行き来したため、湖を介して地縁的にも経済的にも強く結びついていた。

高度経済成長期の1965年(昭和40)、出島村柏崎と玉造町浜を結ぶ県営渡船「出島丸」が就航。当初は木造船で一日7〜8便無料で往復。当時の資料によると、柏崎から自転車を積み玉造工高へ通学したり鹿島参宮鉄道で石岡商高へ通う生徒で港は朝からごった返し、嵐の時は「遅刻扱いせず」という牧歌的なエピソードも残っている。

また、病院や歯科医院、呉服店などが軒を連ねた玉造商店街への買い物客や行商人に広く利用されたほか、西蓮寺の市で売られた品物は沿岸の集落に出回り、出島村と行方郡の縁戚関係も密に。しかし、次第に道路網が整備され「陸の孤島」と揶揄された出島地域にも車社会が到来。バス路線の充実や昭和62年に霞ケ浦で途切れていた県道土浦大洋線(現国道354号)の霞ケ浦大橋が完成すると、帆引き船と並び霞ケ浦の風物詩だった定期船はひっそりと姿を消した。

23年間で40万5194人、11万266台の自転車・バイクを運んだ出島丸。最終便は昭和62年3月3日午後5時10分柏崎発。同日開通した霞ケ浦大橋は当初から黒字路線で海水浴客などに利用された。交通の便は飛躍的に向上したものの出島から行方郡への人の移動は次第に減少。小さな渡船の廃止が人の流れや経済圏、ひいては地縁や人付き合いも変える一因となった。


 

県営渡船「出島丸」の面影 - 地図

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