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茨城歴史散歩
[2010-09-03 up]

井上下妻藩の墓 - 下妻市

戦わずして街守る 二人の名藩主の墓


中央の墓石には「井上下妻藩累代の墓」と刻まれている

二人の名藩主が下妻を守った。右が正兼、左が正已の墓

「下妻の大名」といえば6万石を築き市内に城跡も残る多賀谷氏が有名だが、もう一人、関が原以降の同地を治めた「井上下妻藩」の墓が同市平沼の妙円寺にたたずむ。

多賀谷氏は関が原の戦いで西軍に参加したため秋田と福井に転封となり、藩はその後100年ほど旗本領や天領になった。一方、甲府藩主・徳川綱重の長男で後の6代将軍徳川家宣に仕えた井上正長は5代将軍綱吉の死で家宣と共に江戸に入り、家宣が死去するとその遺命で下妻1万石を与えられ「井上下妻藩(1712〜1871)」が誕生した。

中央の墓は「井上家累代之墓」。右は13代正兼。左は14代正已(まさつぐ)。藩主・正兼の時代は水戸の天狗党が挙兵し、筑波山から最も近い幕府方の領地だった下妻は1864年に「下妻合戦」の舞台になり幕府軍は敗走。幕末の動乱を生きた正已は戊辰戦争で江戸から逃げてきた幕府軍に陣屋を包囲され、「敵か味方か」と二者択一を迫られ出兵。その後、版籍奉還で初代下妻県の藩知事にもなった。

「下妻は多賀谷氏が基礎をつくり井上氏が発展させました。戦場になることを回避した名君たちは時代感覚に優れていたといえます」と5年前に発足した「下妻藩顕彰会(小林昭三会長)」の佐久間秀樹さん。

墓は当初、東京都文京区本郷丸山の浄心寺にあり、後に雑司が谷の本納寺に移ったが昭和47年に旧家臣の子孫によって里帰りを果たし、市内の妙円寺に葬られた。来年、井上下妻藩は開藩300年を迎える。


 

井上下妻藩の墓 - 地図

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