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茨城歴史散歩
[2010-07-13 up]

扇歌堂 - 石岡市

初代・都々一坊扇歌堂 石岡の風流人が建立


六角堂の構造が印象的な扇歌堂

堂の近くにある扇歌の墓石

石岡市府中にある常陸国分寺の一角に、都々逸(どどいつ)の初代・都々一坊扇歌(1804年〜52年)を懐かしむ「扇歌堂」が建っている。

江戸末期に一世風靡した寄席芸人として知られる都々一坊扇歌は常陸太田市生まれ。幼少時の病が元で失明同様になり、持ち前の美声と切れ味の良い頓知、豊かな詩情を生かして芸の道を志した。20歳のときに江戸で船遊亭扇橋に弟子入り。当時流行した「よしこの節」「いたこ節」を工夫し、新しく「都々逸節」を考案し都々一坊扇歌と名乗った。

その後、関西に進出し芸を磨き上げ、京都では「真っ直に行けば五条(五常)の道へ出る」の名句を詠み浮世絵に描かれた。40代になって江戸に戻り、「八丁荒らし」(周辺八丁の寄席の客を奪うほど人気のある芸人)の異名をとった。高座で聴衆からのなぞかけを即座に解く頭の回転の早さが庶民の評判になった。

しかし、「上は金 下は杭なし 吾妻橋」(上層階級は金に困らない生活、一方の下層階級は三度のめしも満足に食えないの意味)と詠み、政治や社会を批判したことで江戸を追放され、姉の嫁ぎ先の石岡市府中香丸町の旅宿に身を寄せ48歳で没した。

今でいうシンガーソングライターでもあった扇歌は、自由奔放に痛快な皮肉や秀逸な警句、洒落の利いた風刺で自然や社会を論じ、人情を歌い上げ多くの人たちに勇気を与えた。扇歌堂は扇歌を慕う町内有志が1933年(昭和8)に建立。「粋で風流な昭和時代の石岡の人たちの扇歌を思う気持ちが込められています」と市教育委員会。

■ 問い合わせ
[TEL] 0299(43)1111/石岡市教育委員会


 

扇歌堂 - 地図

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