常陽リビング社カルチャー教室ブログ
一面記事
イベント記事
グルメ記事
ショッピング記事
美容記事
ハウジング記事
バックナンバー
現在位置 : トップ > 茨城歴史散歩 > 長龍寺の禁制文書
茨城歴史散歩
[2009-11-27 up]

長龍寺の禁制文書 - 守谷市

秀吉直属軍の足跡記す文書


「禁制文書」(原則非公開)

長龍寺本堂。将門の位牌や家康朱印状なども残されている

TX守谷駅近くの国道294号線沿いに広がる森の中に建つ曹洞宗長龍寺に、戦国末期の小田原征伐で秀吉の配下だった浅野弾正小弼(長政)と木村常陸介(重茲)が連署した「禁制文書(きんぜいもんじょ)」がある(守谷市指定文化財)。

「禁制文書」は寺社が軍兵らによって荒らされることを防ぐために出されたもので、乱暴や狼藉、放火、寺に対し無理強いをしたり畑の作物を刈り取ってはならないという内容で、これに背くと厳しく処罰すると厳命している。

1589年(天正17)、秀吉は天下統一に向け関東制覇を目前にした北条氏政・氏直父子に宣戦布告し、翌1590年に総勢15万余りの軍兵を率いて京を出発。関東に散らばる北条方の城を片っ端から攻め落とした。

この時上総・下総に向かったのが浅野と木村率いる2万の征討軍で、守谷城開城のため長龍寺に滞在し守谷周辺の治安に努めた。浅野と木村の両将は小田原征伐の間、各地の寺社に「秀吉禁制」を残しているが、長龍寺滞在時は秀吉の朱印状を切らしていたため二人の連署で禁制が出されたとされる。

長龍寺は平安前期に空海が建立した「東明庵」が前身。その後、平将門が相馬郡を統治した924年(延長2)、先祖の桓武天皇を弔うため新たに伽藍を建立したことから将門開基とも伝わっている。このころから「徳怡山長龍寺」と今の寺号に改めた。

■ 問い合わせ
[TEL] 0297(48)0203/長龍寺


 

長龍寺の禁制文書 - 地図

Loading...

歴史スポットマップに戻る
茨城歴史散歩のトップに戻る

 

Ads by Google

常陽リビングのTOPに戻る

 

注目の記事
  1. 現代アート造形作品を野外に展示する美術展「ART SESSION TSUKUBA2019」が、11月10日(日)まで平沢官衙遺跡や神郡・臼井地区で開かれている。
  2. プロ野球のドラフトや選手の去就が話題になる中、横浜DeNAベイスターズから社会人硬式野球のJFE東日本へと活躍の舞台を移した須田幸太選手が、10月25日開幕する日本選手権に臨む。9年ぶりに復帰した古巣で年長者としてチームを引っ張りながら、7月の都市対抗大会初優勝に続く「夏秋連覇」に挑戦する。
「常陽リビングニュース」最新記事
  1. みずほの村市場「村まつり」
  2. 土浦一高美術部OB同窓展
  3. つくば国際ペット専門学校の「犬友祭」
  4. 洞峰公園を歩こう・走ろう会
  5. さまざまな「心の悩み」に対応
「常陽リビングニュース」アクセス上位記事
茨城歴史散歩