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茨城歴史散歩
[2008-01-11 up]

逢善寺本堂の天井画 - 稲敷市

幕末の天才画家 弱冠16歳の作




826年(天長3)開基の古刹・逢善寺本堂に、幕末から大正期に活躍した画家・松本楓湖(ふうこ)の天井画がある。稲敷市指定文化財。

天井画は本堂の天井9尺4寸(約285cm)のけやき板に極彩色で描かれた一対のの天女。1853年(嘉永6)江戸琳派の画家・沖一峨に弟子入りした楓湖が師の急逝に伴い、いったん帰郷した際に描いたもの。天井画には師匠の名から一字借りた「洋峨謹写」の落款(らっかん)がある。このとき弱冠16歳。

そんな絵の天才も、幕末に尊皇攘夷熱が高じる中で一時期絵筆を剣に持ち替え志士たちと接触。天狗党の乱を起こした武田耕雲斎や藤田小四郎を支持して江戸を出奔した。彼の思想の背景には、淳和天皇の第三皇女・貞子内親王を祭った姫宮神社や同天皇の勅願寺とされる逢善寺など、幼い彼を取り巻く環境の影響が考えられる。

晩年には母の生家・椎木家に「富士三保松原」の絵を描き贈っている。「同家のアルバムを見ると、結婚式や七五三には掲げられ仏事には外されていた」と、稲敷市立歴史民俗資料館の森田忠治さん。富士は不死に通じ、三保の松原には天女の羽衣伝説があることから「かつて自分が描いた天女が、富士の松に舞い降りるさまを想像しながら描いたのかもしれませんね」と言う。後に日本美術院創立にも奔走した希代の画家、楓湖の天女は歴史ある本堂の天井で、今も優雅に舞っている。

Tel0297(87)2162/逢善寺


 

逢善寺本堂の天井画 - 地図

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